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6/22/2008

祠(ほこら)

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 先日、福島の勿来の関にを訪れた。ご覧のような朽ちかけた祠が、信仰の対象ぶつ以上の存在感を晒していた。いかにも、歴史を感じさせるたたずまいだが、また、古さを感じさせれば、歴史的なるものでもない。歴史は、そこに人々の関わり合いがあってこそ、後世、見る者をして感慨を及ばしめる存在となり、歴史的なるものとなるのだから。伝統も然り、そこには、人間の息使いが常に存在するものなのである。すなわち、それらにまつわる、神性なり、権威なりは、時代の人間が作り上げたもの、、もの、なのである。あたかも、古来より、既にあるかのごとく思わしめるものは、そんな歴史性のトリックにハマる結果なのだ。

 それ以上に、実は、私は、この祠に美を感じたのです、、、
 

 

11/18/2007

西安、兵馬俑博物館

  
 
           
 
 中国、西安にある兵馬俑博物館をみてきた。今月4日から10日まで、中国、西安東北にある富平にて、国際会議(国際陶芸誌編集者会議)が開かれた。わたしは、その招待発言者として参加。会議における参加者プログラムのひとつとして、兵馬俑博物館の見学は設定されたもの。一度は観ておきたかった兵馬俑。とにかくその規模は、中国そのものである。古代からの、現実主義の中華人民の世界観が、兵馬俑を造らしめたというのだろう。現世の再現、死後もそのまま生命の持続を願う観念。これは、けっして輪廻転生に沿った ものではなく、不老不死を願う、現世利益そのもの。死後を詮索しない、現実そのものを享楽するエネルギィーが、なさしめたものか。
 
以下の作品は、兵馬俑に影響されてからのものではないが、というのも、この作品は、時期としては、それ以前に制作したものということである。無数の集団、たとえば、小さな昆虫を考えるとして、小さな虫そのものを、たった一匹、目にした場合と、その無数の塊を目にした場合、どちらが、驚異であるか言うまでもないだろう。集団の恐ろしさは、それが、どの方向に行くか理解できない故に、不気味なのである。表現に向かうとき、それを大きなひとつの塊に集約させるか、小さな、時に可憐なるそのものの集約として表現させるかは、作家そのものの手段であろうが、つくずく、数の恐ろしさを感じざるを得ない、、、
http://pictures.aol.com/ap/viewHoo.do?type=kenBurns&size=LS&logoUrl=http%3A%2F%2Fpictures.aol.com&aimName=makotohatori&aolAlbumId=1uXYxRKKm4Tio8vrBjoAUoAw1f1qg585tRBO1HsC9geJJdNX5w59hg%3D%3D&noLogo=true&bgcolor=FFFFFF

9/17/2007

映画 「逢びき」

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 1945年イギリス映画 「逢びき」 を観る、、Brief Encounter 、、、しめ付けられるほど、、切ない物語、、わが身と重ね、、と、いったら大層な、と笑われるかもしれない、、、ローラ、、シリア・ジョンソン、、、 アレック、、トレバァー・ハワード、、、せめて、劇中であるなら、、突きすすんで欲しかった、、、といったら人生を解せない、といわれてしまうだろうか、、、でも、戻らぬ旅をする、、そんな美しさもあるのでしょうが、、、ささやかなもののなかにこそ、美しさがあると、いうのでしょう、、、
 切なくも、どうしょうもない、、 あの日あの時、、、それぞれの人が共有する、、、
6/22/2007

方丈、、窯と陶芸

 東洋、、もちろん日本もそうだが、、古来から、中華思想の影響を受けずにはいられなかった東アジアの精神性のなかには、玉 (ぎょく) に対する崇拝ともよべる高貴なる憧れが存在する、、、小さきもの、愛らしいものにこそ、、そこに美、、真実の存在を認め、、反転、、広大なる宇宙と折り重ねる、、壷中居 (こちゅうのきょ)、一壷天 (いっこてん)、、あるいは、求めた美は、纏足 (てんそく) にまでいき着くのか、、、それは、東洋的合理的精神に連動する、、工芸美術における、、限りなく狭く深い、、技法追求のもの造り、、、日本における、根付をはじめとする工芸のなかに、、茶道における茶室のしつらえのなかに、、坪庭、盆栽、提灯、、、 どれもが、極小の世界、、、掌(たなごころ)、、あい対する者の手中に納まる世界、あるいは、それはともすると装飾過多へとも、、、なればこそ、全てを嘗めまわすことの可能な世界、、宇宙にわが身を置く、内包可能となる観念、、精神世界、、、

 こと、窯に関しては、、小さいものは日本の伝統的やきものには、不向きである、、、焼きもの、陶芸、、なによりもその造形の質的性格を決定づけるもの、、まず、焼成、、窯とは、単なる表現手段における道具ではないこと、、日本の焼きものの特質である、、、一球入魂、、スポーツさえもが、精神世界、道 (みち) の世界に取り込まれてしまう現実、、、焼きものと、、焼成装置である窯は、意味同体なのだ、、、わたしは、焼きものをしてます、、では、あなたの窯は、、となる、、、至極当然のことのようであるが、、ほんとうに当然なのだろうか、、、そして窯は、作り手そのものでさえもある日本の伝統的焼きもの観、、、それは、道具の擬人化、、作り手はそこに自己の精神性を重ね合わせる、、、

 三位一体、、造り (いわば、作り手、、人である) - 粘土 (素材である) - 窯 (重要なる焼成、、この三角形の関係における頂点に位置する)、、この関連こそが、日本の伝統的焼きものの世界観を端的に表す構図といえる、、、焼きものをする、、イコール、窯を所有する、、となる、、、焼成こそが、最も重要な工程である、、焼成は、端的に、、上がり、、というではないか、、、 その上がりこそが、、焼きものをして、、良し悪しの判断となる、、、

 この、焼成装置としての道具は、焼きものをする者にとっての象徴であり、エンブレムでもある、、、シンボル とは、見栄え、大きさ、、大きければ大きいほどよいとなる、、、単に、それが、大きいだけで、商業的にも、対社会的、さらにもっと、制作作活動をする作家に対する印象すら、能動的反転をする、、質屋と蔵の関係になぞることができようか、、、 大きい、、富んでいる、信用がある、、、

 窯は、日本における焼きものの世界で、そのような位置付けをされていることは、また、伝統的焼きもの観によるところでもある、、、この場合、、大は小を兼ねるに由来する、、、大窯時代、、当然、、数が多ければ多いほど、焼成具合は、千差万別、、良質の品もとれることとなる、、、小さい窯では、不可能な偶然性に満ちた作品 (窯変) がとれる、、茶道的美意識の介在、、、
 
 しかし、ヨーロッパ、アメリカの陶芸家と窯の関係は、随分と異なってくる、、、先刻述べた、道具としての窯、、となる、、、焼成装置としてのそれは、、精神性をそこに求めるとか、、感情移入をすることはない、、、厳密なるもの、それが、個人的芸術性を追求するならばなおさら、、そこに存在させる理由なない、、なぜならまさに感性の赴くまま、、自らの表現行為の道具とする、、と言ったほうがよいだろう、、、日本の 「楽 (らく) 」 が、彼の地で、RAKU、、とされ、、帰化したのも大いに納得のされるところである、、、作り手にとっての個人的感性、思想性が一義であればこそ、そこに、相対する存在者、、窯、、装置は、すでに作り手に内包されたものとなるのだから、、、

 西欧における、技法を支える装置、、としての窯は、作り手との思想に関連し、、創造性をどうとらえるのかによって、かくもその存在の有様は違ってくる、、、数度のヨーロッパ訪問で感じたこと、、ヨーロッパにおいて、作家の工房を訪れて、わたしが、みたものとは、小さな窯が、、それは、日本において愛好家が使用する程度の大きさであること、、なのだ、、、では、大きな作品は、どうするのか、、数多のシンポジウム、、レジデンスに参加、、応募することで、施設の大きな窯を使用することとなる、、、現代の自己完結型の日本とは異なり、ヨーロッパやアメリカでは、窯は装置であるからにして、、集団で造り、使用する考えが普通である、、、かっての日本の大窯時代、室町から江戸にかけて、、を思い出してもらいたい、、、まさに、ヨーロッパ、アメリカにこそ、かっての日本の室町時代の備前における共同窯、、大窯(本来なるとの意味)の精神がいきているといえる、、、

 かって、イギリス、、ロンドンで、、かなり著名な陶芸家を訪ねたおりの、、住居、フラット( flat ) 、その裏庭に位置する、小さな窯と作業場、、さしずめ、、日本では、愛好家ていどのそれ、、、彼は、大きな作品を制作していないのか、、といったら、そうではない、、、上述の様に、教育機関におけるアーティスト・レジデンスなどの参加を機に、かなり大きな作品をつくる、、、むしろ、、そうした行動が、陶芸という芸術ジャンルの性格に適した、、アプライド・アートとしての、、技法に関わる共有性に対するかれら全体の認識でもある、、、技法が創造性を拘束することは、本末転倒といえるのだろう、、、

つづく

1/21/2007

ドガ ダンス デッサン

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 ポール・ヴァレリー 「ドガ ダンス デッサン」 において、わたしには、、ドガ、その素描とは、建築家における、設計図、構造計算に比較対象されるように思える、、、
 
 素描という、作品、その前段階的行為は、創造的構想の膨らみという、いうなれば制作者自身の自由なる感性の世界を飛来させえる行為であるが、、ドガのそれは、次なるタブローに向かう、、完成されし制作行為を前提にした、極めて緻密なものとする行為が、、そこに感じとることができる、、、
 
 ヴァレリーは、ドガの制作概念には、彼自身にとっての作品の完成は、めざしてはいない、とされるが、、ドガの癇癪癖、、他人に対する、あしざまに疎んずるその性向は、単に芸術家のもつ特異な気質のみとは言えないのではないだろうか、、ドガという作家自身の作品の完成を脳裏に持ちつづける、彼自身の苛立ちの表れとして、、そこには葛藤がある筈なのだ、、、
 
 素材としても、踊り子、、に接近した生身のドガの創作動機を突き詰めると、、存外、、その特異、、な、性癖がらみに、隠れた一面が、あぶりだされる感じがする、、、
 
 ジャコメッテイの素描は、対極に位置する、、なぜら、 ジャコメッテイのそれは、素描そのものが、すでに彼の芸術的完成への同質化、意識化された造形空間を構築されているからである、、素描そのものが、すでに「作品」である、、、
1/11/2007

死にゆく者が与えるもの

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 かっての、その一国の指導者が、処刑される画像をめぐり、さまざまに、その立場を異にする視点から、その画像そのものの是非をめぐる見解がだされている。しかしながら、そこにあるものとは、死という恐ろしく絶対的なものに対する認識は抜けおち、もっぱら画像そのものが及ぼす、かれら自身の立場の利益不利益のみが喧伝されている。

 そこには、死にゆくものに対する哀悼、、素朴な感情の欠けらは微塵なりとも存在しはしない。死を自らの生と切り離した、相対的対象とされる心のありように関して、社会、、政治といった、流れゆく事象に背をむけ、感慨をめぐらすことの必要性を痛感する。ましてや、自ら信ずる宗教、、神をもちだし、さらなる混乱に拍車をかけるとき、宗教とは、もはや、なすべき方便すら失ったといえるだろう。  

 死にゆくものを前にした時、自らがその現実の時空に位置する場合においても、あるいは、、画像といった、時には、文字といった、、文学、芸術表現においてすら、死にゆくものをして、ひととして共有する感情、、まったくの絶望感、そして恐怖感、そこから反転されゆく感情としての哀悼感、、それらが沈静、昇華されてゆくすえの悲しみ、深遠なるおもい、、それらを通じての生への歓喜へと、、さらなる反転するおもい、、。  

 死を演ずるものが与えてくれるものこそ、絶対的価値もち、死者への尊厳へ結びつく。もちろん、生の歓喜を表現するものが、死ばかりではない。性もまた然りである。だが、この場合、命を存えつつあるものどうしによる関係である、ゆえに必ずしも絶対的表現行為とはいえない。なぜなら、死こそが、絶対であるからにして。

  ここで、絶対的とは、まったき絶対的ものであり、絶対的なものである。死を相対的な生として、接する限りにおいて、そこには現実的扇動性のみが残るだろう。死は、なによりも命そのものであり、生とはなにかを導く、絶対的表現行為であることは、紛れもないことである。  

 このように考えると、、この度の画像にまつわる報道、情報は、悲しむべきことといえるだろう。ただ、、この、かっての指導者の処刑画像にまつわる云々は残念にしろ、その映像からみる限りにおいて、死にゆくものが、りっぱに死にゆくものを演じていたことが、、わたしには、わたしには、、せめてもの救いであった。

  等しく死にゆくものへ合掌する、、、

12/29/2006

死への感情

b20 先日、わたしの尊敬する、K氏ご夫妻と彼の友人Hご夫妻が、わが工房へお越しになられた。数時間の談笑のあと、車で10分たらずのところにある、天台宗の名刹、、といっても、なにぶん、、歴史があるだけの、見所ある境内とてなき、寺院である。山門を過ぎ、その狭い境内の裏手にある、墓地に足を運んだ。土葬の面影残る光景には、、わたしは、いつ来ても、興を示さずにはいられない、飾り立てられた供養花、湯のみ、、酒、、生きている者と故人との対話がそこには溢れ出でている。さながらインスタレーションの表現行為である。わたしは、K氏に、終焉は、土葬がよいか火葬がよいか、、を半ば冗談交じりに話しかけた、、わたし達は、曖昧にその場の会話を楽しんで歩をすすめていたが、そんななか、、K氏の奥様(豪州出身)が、わたし達の側に寄ってき、、その場からK氏を引き離した。わたしは、ジョークですよ、、と彼女にその場をとりなしたのだが、、、それもこれも、、その行為、表現方法は、深い意味合いが存在する、文化的差異なのだろうか、、、死を忌み嫌うにせよ、そこから、、生きる、に反転させるにせよ、死に対する考えは、おおきな命題であるのだ、、、
12/7/2006

もの造りと社会

e25 「病床六尺」、、子規は、寝返りも儘ならぬ病臥から眺められる、わずかの庭先に、彼の宇宙をよみとりました、、、

 芸術、創作活動をするひとが、その活動の場、そのおかれた環境において、様々な制約、もっといえば、作品そのもの、表現行為そのものの、内容、表現方法、、伝統に則ったものなら、本来なすべき様式すら影響されることがあること、当然のことです、、しかしそれは、本来、個性的なる芸術の本質的な問題とはなりません、、、そこには個性ある、個々なるひとびとが存在するだけで、場における峻別は存在しません、、、芸術の本質は、概念的認識が不可能であろうとも、暗示される象徴をよみとることにより、つくり手は、いかなる場なりにも、移動は可能です、、、 また、生存条件に欠かせない、食という文化を考えた場合、それを家で摂るか、、外食するか、、内喰か外喰かの選択行為は、生活者個々ひとびとの時代的影響、あるいは世相も作用するでしょう、、、しかし、食を摂るという原生的な行為そのものに、質的差異はなく、それだからこそ、、洒落たトレンディさを求める、ある種のひとは、それなりの場を求めて外へ出かけることでしょう、、、そこに刺激的先鋭(幻想)を感じ、かつ生身の欲望を満すことすら出来るでしょう、、、さらに、、そしてまた、行きつくさきさきの道々の商業看板広告には、つくり手の精神性を内包させる、作品とさえ、よべるものもあります、、、従前の概念にからめ、てづくりだから、個人作家によるものだから、、批判もされず(評価もされず)、無条件にそれが、作家ものに価値があるというものでもありせん、、、かりにまた、社会性を意識した応用美術だからといって、必ずしもそれがひとびとの時代的感性に、な染むものにはなりません、、、 社会は歴史です、ひとびとの歴史です、、ひとびとにとって、かりにそれ、社会が、、ひとびとに、正常に機能していないことがあるとするなら、、それに、かかる、その表現行為そのものが、美とはほど遠い、すなわち真理に寄与しないものになります、、、 すべからく、ものをつくるとは、、社会に対峙することが前提なわけです、、、往々にして、つくり手が、社会とコミットした場合生じる、、作品性と求められる喧伝性の相克となるのです、、、

11/9/2006

ミクスト・メディア

彫刻における、素材感による作品情報は、極めておおきなものがある、、、素材それ自体がもつ精神的意味合い、、思想性、、をとり込むことで、作品はすでに、、ほぼ完成へと向かうだろう、、、
10/23/2006

作品(塑像)



 石膏に彩色、46.0(w) -19.0(d) -51.0(h) cm
10/2/2006

 「首」の彫刻を制作する、、、空間意識、構造、、陶芸をするにしろ、基本はどれも同じである、、、押された空間は、必ず押し戻される働きへと連動する、、それが自然の法則であろう、、、その法則を意識しない創作は、創造するべき空間構成に与ることを放棄する結果となる、、、塊をかたまりとして、その運動を内部に凝縮する、、それが、空間芸術の立体としての存在感へつらなるのだろう、、、
9/18/2006

陰影

 陶と異素材の共生、、影、陰影は、あるものの存在が存在する限りにおいて、成立する、しかも、それはどこまでいっても平面的世界に他ならない、、それはまた可視光線とは相容れない存在である、、、はかない陰影こそ本質なるものを秘めるものはない、、、
9/15/2006

日芸

 先日、五年ぶりに西武池袋線に乗る。列車は、池袋をでるとすぐ立体高架橋の上をはしる。車窓の眺めは、随分と変わってしまった。学生の頃の沿線風景は、とうになくなっているし、椎名町、付近をまるで、家並みをかするように疾走する感覚は、当然なくなっていた。そんな池袋線は、いわば下駄履き感覚の列車だった気がする。
 暫くすると、わたしは、身体を斜めに車窓の光景に目を凝らしていた。流れの中に見えた、日芸は、いままさに、高層建築の学舎へと、工事用のフェンスに覆われている。日芸が日芸である為にも、江古田とうい場所が一番似合う。やはり、芸術を学ぶ環境は、猥雑でごちゃごちゃした街中が相応しい。日芸は、このまま江古田の喧騒と雑踏の中で、いかがわしい環境とともに存在して欲しい。玉石混交、大人の遊園地として、今後も、その特異な存在を日本の芸術文化の中で占めていくべきだ。そして、好き勝手にやらせる学校でありつづけて欲しい。そこが梁山泊であればこそ、何よりも芸術を志すものの若き日の糧となるものだから。
 そんな思いにふけりながら、すでに列車は、かって見慣れた風景の中を走りつづけていた。ちらほら畑が見え出したのだ。わたしは、目的地、Hで降りた。駅前をわずか離れるとビルの谷間に野菜畑が、まるで花壇のごとく広がっている。強欲な地主が立っている姿が浮かんだ。戦後の食料不足の混乱期、わずかばかしの食べ物を求め、焼け跡に残されたなけなしの物品を手に、買出しにくる都会人から、あくどく、サッマイモと交換したのは、こんな地主だったのか。都会が非人間性、悪で、田舎が人間性ある、善なる図式を、わたしは、まったく信じない。花畑のような野菜には、虫食いの痕跡は見当たらなかった、、、
 
 - 上記の作品は、学生時代の習作 (1968年 ) -
9/12/2006

食材にまつわる話

b3 最初にイギリスに滞在した折が、ちょうど、クロイツフェルト・ヤコブ病の話題が、、食卓で必ずというほどなされました、、、そん時期でしたので、現地では、、牛肉との関連が疑わしい、、ゆえに、ステーキなどを口にすることはありませんでした、、、みな、レストランでは、羊の肉を注文したおりました、、、話題の奇病が、狂牛病と知ったのは、後日、帰国してからで、テレビに映し出される患者の映像に大変ショックを受けたこと言うまでもありません、、、なぜなら、、ときどき、M・ハンバーガーを空腹のおりに食べていたからなのです、、、イギリスといえば、その食文化の貧弱さをフランス現職大統領が何かの折に言うくらいです、、ホームスティの食事で、満腹になったことがありませんでした、、M・ハンバーガーなら、たとえ牛の肉でも、大丈夫と会社へのへんな信頼?があったからです、、、それからの、わたしは、続けていた献血も拒否され、テレビや新聞の関連報道のたび、おそれおののく状態がつづくのでした、、、さて、食材とうつわの相互関係は、まさに民族の伝統文化を色濃く反映しているものです、、たまごが先か鶏が先か、、古代においては、食材が先でしたのでしょうが、、時代が下るにつれ、うつわは、おおいに食の美意識を刺激したとおもいますが、、、ちなみにイギリスでは、中くらいのお皿、一枚で足りるといったら、、大げさでしょうか、、、

流れの中から

d3 農耕民族のならいで、、わたしたちは、堅牢なる「かたち」あるものの文化に突き進むことなく、いまに至るまで、あいまいなる精神的文化のなかに暮らしています、、見渡せば、、土の文化なのですね、、、壊れやすいもの、はかないものに、心情を託し、、この世を処世する伝統的精神、美意識は、至るところ、、わたしたちの生活にみうけることが出来ます、、これほど、土を素材とする、やきものがあふれた国もまた稀有な国民性です、、、よきにつけ悪しきにつけ、その非論理的なるうつろい易き流れのなかで、わくら葉とともに、過ぎ去る両岸、、浮世に目をやりたいものです、、
9/8/2006

ボウフラ

c6 日々、眺めているスイレンの鉢、、当然、ボウフラが誕生します、、ボウフラは、生まれるとは、なかなか言わぬもので、、涌くと言いますが、よくよく眺めていると、そのリズミカルな律動は様式化された、美しいものがあります、、ボウフラとて、生まれ、生きてゆく姿は、十分に感動的なものです、、自然という人間を超えた存在のなかでは、人間技を超える神秘的なるものは、多々あるものです、、、ものすべてその誕生とは、等しく美しいのです、、、
 
 
9/6/2006

親鸞

buddha いつの世も、真理を求めるとするなれば、世間との隔絶なしには、、困難なこと、、、言い換えればそれだけ、人間の意志は脆弱なことということかも知れません。
 釈迦は、いっさいを捨て、苦行の道にはいりましたが、、わが親鸞は、肉食妻帯、、あるがままを肯定することから、真理を説きました、、、善人なをもて往生を、、なす、、、いわんや悪人をや、、、親鸞の革新性は、いまもって、知性を超克する哲学ですが、、同時にかれは、芸術家としてのこころを兼ね備えた人物であったともいえるのでしょう、、、
9/2/2006

重いと嘆くより、、

 MSN ブログを、重いと嘆くより、すすんで背負うていこう、、暗いと嘆くより、すすんで灯かりをともそう、、
数多あるブログ・サービスのなかで、その無骨さは秀でた存在です、、効率優先に汚染されたなかで、、ひときわ異彩を放つ Spaces は、信頼ある内容性と、グローバルで可能性溢れるチャンネルが出来るのです、、、
 後半の暗いと嘆くより、、は、ある宗教団体の文言ですが、唐突ながら、死こそ絶対なものと感じた多感なる青年期、死に対る解釈を知るため、宗教に大変興味をおぼえました、、畢竟、、それは当為とは何かを諭すことでした、、ひとつの選択肢として、芸術が内包するその精神性に、、、
8/27/2006

「数」

e18 以前、英国の陶芸作家のなかで、それ、作品で生活、飯が(ポテト、、)食べられる作家の数は、英国全体で、五十人であると、10年前に現地で聞いたことがあります。作家活動のほか、美術教員、あるいは、工房を教室にしたり、、もちろん、陶芸の実作者数は、かなりの員数になるわけですが、いまいった数の内容は、雑器の量産を糧とする工人を省いてのことですが、とにかく、少ないわけです。わたしの住む県内ですら実作者数は、300人ともいわれます。日本全体のそれは、想像つかない程の、もの凄さになるというわけです。要因は、経済の肥大が比例していることからくる数字なわけです。
 その場に居たわたしは、そんな日本の異常さを纏った、わが身が、何となく恥ずかしく感じたのです。外国にいながらナショナリズム気分は湧き出てはきませんでした。日本のやきものは、伝統ある文化でありますが、文化である以前に、経済活動そのものなのです。たとえば、百貨店催事に象徴される、数字という帳簿が、展示企画のすべてを絡めるのですから。もちろん、経済も文化ですが順序が逆なのです。経済性の前に文化が存在することで、エレガントな社会が形成されるのですから。
 今またぞろ、さまざま政治を始め、数、数字の優位性を聞くにつけ「数」は、本当に人間として暮すうえでの社会性に対する「ちから」なのか、よくよく考える必要があると思います、、、
8/20/2006

エンヤ

 エンヤ の 曲 は、どれも、とても素敵です、、エンヤ・ニ・ブレナンの作品に色濃く、その芸術性を育んだ、彼女の国、、固有の民族性、その伝統に改めて、感慨深いものがあります、、アイルランドの土着性を、現代技術を駆使し、現代(いま)の表現へ、、作品化させた、見事に取り入た、、彼女の作品は、どの作品からも、荒涼たるアイルランドの風土を連想させます、、さて、、村上春樹、よしもとばなな、、、といった日本の小説が、ヨーロッパで、読まれる要因に、これらの作品には、特定地域の伝統や、習慣が払拭され、異文化の人々にも読み易く、極めて非特定の日常性に満ちた内容が、絡んでいると言われますが、翻って言えばフカみ、コクがないに通じるのではないのでしょうか、、民族における伝統的、文化、、習慣、、は、作品の芸術性とおおいに関連してくるのですから、、以前、日本の外語大に留学していた東欧の人から、よしもとばななの本を就寝(おやすみ)前の Liight reading に、本国の日本語教師が薦めたと聞いたことがあります、、、、